Hinako Journal

ヒナコ・ジャーナル(Over50な妙齢のヒトリゴトやオモウコト)

(雑談)遊ぶの定義が薄らいでいるような気がしませんか

今回もはてなの今週のお題を拝借して書くとする。

ネタはないのかと言われるかもしれないが、本当のそのとおりでストックしているネタがない。書きたい内容はあっても調べきれていないので記事にできない。今週のお題は「何して遊んだ?」がテーマであるが、私の中の「遊ぶ」という感覚はどこかへ行ってしまったような気がするし、正直「遊ぶ」の定義が答えられない。

なんとなく遊ぶは「子供」のものと思っている。

遊ぶの定義

子供のころは「ひなちゃん(仮)と遊ぶ」といった言葉をよく使っていたなと、はるか遠い昔を思い出した。ひなちゃん(仮)と「会う」ではなく「遊ぶ」を使っていたのは、会うだけではなく何らかの「遊び」をしていた。それが「おままごと」なのか「かくれんぼ」なのかは覚えていないがそこには目的があった。今は遊ぶが「会う」に変わった。食事やスイーツを食べたり、テーマパークや映画を観ることはあっても目的は「会いたい」が大きい。

また一人称で楽しむことも色々あり、読書をする、映画や動画を観る、オンラインゲームをする、ショッピングをする、車を運転する、スポーツをする、推しを愛でる、料理をする、写真を撮る、挙げればいろいろとある。また大人にありがちな「寝る」も楽しみの一つになっている。遊ぶとは一体なんだろう。楽しんでいるのであれば深く考えるほどのことは無いが、改めて「何して遊んだ?」と聞かれても答えられない。それは私だけなのかはわからない。遊び方を忘れてしまったのかもしれない。

子供の「遊ぶ」は成長のための学びであり、大人の「遊ぶ」は日常の生活で消耗した部分を埋め、明日の活力のエネルギーを注入することが大きな目的なのだろう。

とはいいながらも大人の「遊ぶ」は時々体を消耗する

 

 

 

今週のお題「何して遊んだ?」